二十五の峰、空高く♪

~標高850mの故郷 『栃洞』の想い出~

通洞と泉平の社宅廃止

オイルショックという出来事の数年後からでしょうか
しだいに〝合理化〟という言葉も耳にするようになり
子ども心にも何か良くない状況を感じた記憶があります。

そして1979年
私が住んでいました通洞地区と泉平地区の社宅が廃止されました。

私は南平に引越しました。
物産の横、火の見櫓近くの2階建て木造社宅。

通洞が無くなったことより
意外に快適な南平の生活が嬉しかったりもしました。

でも、いまになって思います。

春の雪解けのにおい
夏の朝の涼しい空気
秋の大洞山の夕陽
冬の猛烈な吹雪

一瞬だけでもいいので
もう1度、あの時に戻りたいです。

一本松

神岡の街の東側、栃洞から南方向に屏風のように
連なる尾根があります。

栃洞行きのバスは、その南端にある鞍部を通り
尾根の反対側へと進みました。

ちょうどその場所にあった「一本松」という名前のバス停が
強く印象的に残っています。

ここには戦国時代の江馬氏の山城「高原諏訪城」があり
実際に1本の松が存在していたとのことです。

私は小学生の頃、この「一本松」がどうしても気になって
行ってみたことがあります。
それは栃洞から行ったのか、神岡の街から登ったのか
まったく記憶が無いのですが…。

ただ、行ってみたはよいものの
お宝どころか何にも無くて
期待外れ感が大きかった思い出があります。

子供にとっては
歴史的な価値とかは関係ないようですね。

それと、もう1か所。
「一本松」から栃洞方面に少し進んだ場所
排滓の堤の近くに「サイクロン」というバス停がありました。

何年間もバスを利用しましたが
そこで乗降する人を1度として見た事はありませんでした。

みちくさみっちゃんさんの思い出

私のFC2ブログの方に
子どもの頃、栃洞に住んでらした〝みちくさみっちゃんさん〟
という方からコメントをいただきました。

前平にお住まいだったとのことですが
私は通洞に住んでいましたので
十分なお答えが出来ませんでした(笑)

どなたか〝みちくさみっちゃんさん〟の思い出に
登場する場所や建物や道を
私にお教えいただけますでしょうか(^_^)


みちくさみっちゃんさんから
いただいたコメントは以下ようなものです。

私は昭和24年生まれ。
今年6月に二つ年下の妹夫婦と、87歳になる母を連れて、栃洞に行きました。
私が小学4年の時に、父(警察官)の転勤で栃洞に行ったのです。
母も先が短いし、私も昔住んでいた所が懐かしくて
皆が元気なうちにと思って実行しました。
全く私の頭の中にある風景は見られずがっかり。
このブログを見ても私の住んでいた場所は見当たりません。
前平と言うところに住んでいました。
小学校に行く道の左側の階段を上り二列目か参列目くらいの左の社宅みたいな所で、
階段の一番上には、プールみたいなものがありました。
雪が降った時は、社宅の左の方に細い道があり、そこでそりですべっていました。
スキーを持ってなかったので。
冬の朝早くに電気がついたり消えたりすると、閉校になっていました。
学校に行く途中の、道の左側に銭湯があったように思います。
つきのわぐまが、そのあたりに射殺されて大の字に転がっていたのを記憶しています。
学校は道から見ると、下にあった気がするのですが、先日行った時は、
全くどの辺がそうなのかわかりませんでした。
色んなブログを見ても古い前平地区の写真がないので、とても寂しいです。
そういえば同級生にお寺の子がいて、
時々遊びに行ってらくがんのお菓子を頂いた記憶があります。
家からは少し離れていたと思いますが、どこだったんでしょう?

乗り物酔い

栃洞っ子にとって乗り物酔いは
大きな悩みの1つではなかったでしょうか。

私も子どもの頃、
それがイヤでイヤでたまりませんでした。

神岡の街に遊びに行く場合
行きは徒歩で良いのですが
さすがに帰りはバスに乗るしかなくて…。
バス遠足の時も心配でした。

まず、あのバスの排気ガスや座席シートの臭いがダメ。
それに加えて、和佐保の排滓のカーブの連続が追い打ちをかけました。

ガムを噛んだり、座る席を試したり、窓を開けたり
坂巻まで歩いてバスに乗る時間を減らしたりと
自分なりに研究したものでした。

栃洞中学校が神岡中学校に統合された時など
お困りになられたご家庭も、
さぞ多かったのではないかと思います。

いまの時代、物心が付く前から普通に車に乗っていて
乗り物酔いをする人も少なくなったのかもしれません。

私も自分で車を運転をするようになり
あの頃、乗り物酔いを心配していた自分のことが
嘘のようです。

あの時のオエッとなりそうな気持ち悪~い気分も
懐かしい栃洞の思い出の1つです。

 


空から神岡を見てみよう - YouTube

 

 

 

子ども獅子

通洞地区の子供会では
春のお祭りに獅子舞を行っていました。

3月末から1か月間、夜は集会場で練習。

写真は、昭和47年(1972年)4月24日
通洞の〝火の見やぐら〟横の階段を登った所の
広場での撮影です。

この写真を見るまでは、写っている方々と
「何処かですれ違っても気付かないとだろうなぁ」
とは思っていましたが…

実際に写真を見てみても
自分でもビックリする程に名前が思い出せません。

自分の記憶のはかなさを
嘆いてみたり
仕方ないと思ってみたりです。

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六郎谷

栃洞小中学校の体育館の西
道路ガードレールの向う側に
六郎谷という谷が口を広げていました。

この少々こわい印象をいだかせる名前の由来は
わかりませんが、栃洞だけで通じる俗称ではなく
神岡のまちでも使われている名称のようです。

私が住んでいた頃は、背の高い木々が生い茂り
視界も遮られていましたので〝足がすくむ〟ような
肝試し的なスポットではありませんでした。

フェイスブック『神岡街歩きガイド』に
六郎谷スキー場の写真が掲載されています。

https://fbcdn-sphotos-a-a.akamaihd.net/hphotos-ak-frc1/t1.0-9/297600_136923549748547_1581240405_n.jpg
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=202552779819058&id=301441086534511

グーグルアースで栃洞訪問

 

栃洞へ行きたいと思っても
なかなかそうはいきませんので
時々、グーグルアースで栃洞を訪問しています。

空の上のいろんな角度から
まるで鳥になったような気分で栃洞を眺め

住んでいた時には
行けなかった場所の地形なんかも
知ることが出来ます。

人の営みの無い風景ですが
また眺めたくなる風景です。

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~西側からの栃洞の眺め~
(左が通洞、右側が前平)

 

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~神岡の〝まち〟からの栃洞の眺め~