二十五の峰、空高く♪

~標高850mの故郷 『栃洞』の想い出~

夏休みの小旅行

夏休みになると高山市奥飛騨温泉郷(旧吉城郡上宝村)
平湯温泉にある会社の保養施設に行くのが我が家の恒例行事でした。

今から考えると、とても近い場所なのですが
当時の私にとっては、とても遠くまで行くように感じていました。

高原川沿いを走るバスの車窓から見える焼岳の姿に感動。
新平湯温泉(旧一重ケ根温泉)の温泉街を抜けて行く頃には
もうすぐ到着モード気分でソワソワ。

平湯バスターミナルに到着し
高原の観光地の雰囲気を感じ
笠ケ岳の均整のとれた山容に見とれたりと…

温泉街とは反対側の方向の
少し歩いた場所に施設はありました。

温泉に何度何度も入ったり
娯楽室で10円のパチンコにハマったり

外出して平湯大滝を見に行ったり
温泉街ではんたい玉子を食べてペナントや絵葉書を買ったり
バスターミナル近くの温泉プールに入ったり…

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。

その場所は、現在『ひらゆの森』という
温泉施設に変わってしまいました。

家族に私の楽しかった思い出を語っても
〝ふ~ん〟で終わりです。

私だけにしか分からない
夏休みの小旅行の大切な思い出です♪


高山市 「奥飛騨温泉郷 平湯温泉」 ~ひらゆの森~ - YouTube

下校の音楽

栃洞小中学校の下校時にかかっていた音楽。
曲名を知らなかったのですが
ふと気になってネットで調べてみました。

ドボルザーク新世界より」家路という曲でした。

曲の出だしの部分を聴いただけで
夕暮れ時の校庭の風景を思い出します。


ドヴォルザーク 交響曲第9番新世界第2楽章(家路)'From the New World ...

56豪雪

昭和55年末から翌56年(1980~1981年)にかけての冬は
大変な大雪となりました。
いまでも〝56(ごーろく)豪雪〟は語り草となっています。

当時、私は南平に住んでいましたが
前平の栃洞小中学校は下の写真のような状況でした。

1月に岐阜まで行かなければならないことがありましたが
栃洞から神岡の街に降りるより
まず神岡から脱出できるかどうかが問題でした。

何とか高山行きのバスが運行しましたが
雪でデコボコに踏み固められた神岡の街の中を
バスは〝ぐでんぐでん〟しながら走りました。

岐阜から神岡に戻って来ると
雪の状況はさらにひどくなっていて
前平行のバスは運休。
タクシーも、行先が栃洞だと伝えると
断られてしまいました。

しかたなく自動車道をトボトボと歩いていたら
一本松の手前で若いご夫婦(カップル)の四駆車が止まって
乗せてもらえました。

現在は、ほとんど雪の降らない場所で暮らしています。
あんなに雪で大変な経験をしているのに
雪のない冬に
いまひとつ物足りなさを感じる自分もいます。

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栃洞小中学校の玄関付近の雪の様子
(『栃洞校史』より転載)

 

年越し

栃洞に住んでいた頃、我が家の年越しは
とても淡々としたものでした。
まだ明るいうちにお風呂を済ませて
夕飯は17時ころからいただき…。

19時からCBCレコード大賞
そして21時からはNHKの紅白歌合戦を見て…。
紅白も後半戦になると
大御所の演歌歌手ばかりでつまらなくなり
睡魔との攻防戦が始まり…。
23時45分に ゆく年くる年 の番組の中で
除夜の鐘の音を聞きました。

私は通洞に住んでいましたので
前平の鉱山四柱神社へ初詣に行ったことは
ありませんでした。

年が明ける前後の時間帯
時々寒い寒い家の外から
雪をキュッキュッと踏みしめながら歩く音や
防寒具の擦れるシャッシャッという音が
あまりに周りが静かなので
小さい音なのに私の耳にはよく聞こえました。

乗越(のりこし)

神岡の町から二十五山の方向を見上げると
ラジオの中継所の高い塔(アンテナ?)が見えます。
また、東町から前平までの歩き道の途中、
その場所を通ります。

太平洋戦争下の食糧事情を改善するために
開墾されたようです。

秋から冬に移り変わるこの時期
前平から乗越まで
歩き難いほどにフカフカに積もった落ち葉の上を
歩いた感触を思い出します。

 

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写真右の中央上寄りの白い部分が乗越。
写真左の中央左寄りの白い建物が通洞鉄筋アパート6棟。
(『栃洞校史』より写真転載)

学級文集

毎学年、3学期になると
学級文集の準備に取り掛かりました。

何という名称の用紙か分かりませんが
ボールペンで引っかくようにして文字を書きました。
間違えると修正液の出番。

用紙、修正液、インクのヘンなにおい…。
何年たっても
私の鼻が憶えている栃洞小学校の記憶です。

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山之村(やまのむら)

神岡の街は、岐阜県飛騨地方の1番奥にあるというのに
栃洞は、そこからさらに山を登った所にあり…。
その栃洞より桁外れに山奥に入った所に
「山之村」という集落があります。

学校の遠足でも伊西トンネルをくぐり
その山之村の伊西地区にある牧場へ行きました。
〝人って少しでも平地があれば、どこにでも住んでいるんだなぁ〟
と思ったものでした。

もう何年も前になりますが、森茂地区にある
「山之村牧場」という施設に遊びに行ってきました。
子ども達には
「いいか、着いたら門まで走って行かんと
ディズニーランドみたいに3時間待ちになってまうぞ」
と言ってあったので、それを信じ込んだ子ども達は
門に向って猛ダッシュで走って行きました(笑)

その時は、もう伊西の牧場は無くなっていて
道路も自分の記憶よりはるかに狭いものでした。

荒涼とした風景に
例えようのない淋しい気持ちが込み上げてきました。