栃洞校史(編集:栃洞小学校閉校記念実行委員会記念事業部)
という本の中に〝旧〟栃洞という地名が書かれています。
ということは、私が住んでいた頃の栃洞は
〝新〟栃洞だったことになります。
そんな驚愕の事実は、この本で初めて知りました。
私の住んでいた〝新〟栃洞は標高850m程度。
明治時代〝旧〟栃洞は二十五山の山頂付近にあったという
ことですので1200m程の場所ということになります。
〝旧〟栃洞の下に北盛という地区がありましたが
頂上の露天掘りが始まり、家屋が通洞に移動したとのことです。
他にも、前平と伊西への上がり口の間から二十五山へ入っていった
場所に大留や東平という地区があったようです。
私が住んでいた所から
さらに、あんな山の上に人の暮らしがあったなんて事は
いまでも信じられません。
こちらに貴重な地図が掲載されています。
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