二十五の峰、空高く♪

~標高850mの故郷 『栃洞』の想い出~

栃洞スナップ(2)~泉平~

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左上 銀嶺会館の裏から眺めた風景でしょうか。
右上 舗装前で道幅も狭いようです。

 

 

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泉平へは遊びに行ったり

鹿間まで歩いていく時に通ったりしましたが
この写真がどの辺りなのかわかりません。

 


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お嫁入りの時の写真です。

 

岡崎在住様より写真をご提供いただきました。
ありがとうございました。

 

 

 

栃洞スナップ(1) ~2007年6月前平~

前平にお住まいだった
岡崎在住様ご所有の貴重な栃洞の写真を
ご了承を得て、当ブログにも掲載させて
いただけることになりました。

毎日眺めていた風景
何月とともに変わってしまいましたが
すぐに思い出せるものですね。

写真に添えられた味わい深いコメントも
岡崎在住様によるものです。

 

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学校前の坂道が唯一、当時の光景として残っていたな。
この坂で自転車でよく転んだもんや。
講堂左の広場で盆踊りもやったな。
ポポンがポンやさ。

 

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学校から人事に行く道。
ここは当時の面影を多分に残しておった。
船津様ブログでは、この辺りは今も問題ないようや。

 

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銀嶺会館に行く道も
最早、消えようとしておった。

 

 

 

神岡の街、そして栃洞の夜景

 

船津様の2016年2月19日のツイートを引用させていただきました。

船津様、ありがとうございました。

 

 

 

どんぱ

先日、何気なくテレビを見ていましたら

〝ゲームとかでチーム分けをする時などに
 いつもどうしていますか?〟

というテーマで一般の人にインタビューしていく
コーナーをやっていました。

名古屋周辺のかたは口をそろえて
「グーパーでそろい」と答えていました。

私の小学校の頃は
ドッジボールでも野球でも掃除当番でも
どんな時でもチーム分けの掛け声は

「どんぱのおいもの、あいこは少ない」

だったことを思い出しました。

グーとパーの2つしか使わず
それぞれが同じ数になるまで
繰り返す方法です。

いまになって思い返してみますと
どういう意味なのかも含めて
不思議な言葉を疑問も持たず使っていたものだな
と可笑しく思えます。

ドッジボールそのものも楽しかったのですが
その前の〝どんぱ〟の時点で
おおいに盛上ったものでした。

 

 

 

神岡の〝まち〟から見る二十五山

5月10日、久し振りに神岡へ行ってきました。

栃洞へは行きませんでしたのが

神岡の〝まち〟から撮った二十五山の写真を数枚。

 

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神岡小学校から

 

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神岡中学の下から

 

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神岡大橋から

 

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藤波橋から

 

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大津神社から

 

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小萱から

 

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鹿間から乗越平のCBC中継アンテナの先っぽ。

 

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 最後に神岡小学校からのアップ写真です。

マラソン大会

学校行事の中で最も憂鬱だったのが
秋に行われるマラソン大会。

校庭をスタートし、銀嶺会館の前を左に曲がります。
左手に〝理科園〟右手に〝六郎谷〟を見ながら
最初の難所〝いちやまの坂〟を登覇。
坂を登り切った高い石垣の前を右折し
柏豆地区までの長い登りが続きます。
柏豆の一番奥の社宅の前で折り返し
今度は長い下り坂が足にきます。
前平のお菓子屋さんのT字交差点を左折し
学校玄関前を通過します。
通洞方面へ向かい〝孔雀坂〟を通過し
コースの最高地点に到達。
通洞の1番奥から〝鉄筋アパート〟横を下り
〝鈴木の床屋さん〟の前を通過し
校庭でのゴールとなります。

もともと長距離走が苦手で
息苦しいは、寒くて耳がちぎれそうに痛いはで…
そのせいか、いまでもジョギングはやりません。

何年か前に、草津温泉に行き
近くの白根山にも寄りました。
駐車場から頂上まで少し登る遊歩道があるのですが
たいした登りでもないのに
周りの人達は息使いが荒く、足取りも重いようでした。
私は何ということもなく
「空気が薄いせかなぁ?」と不思議に思いました。

いま思うと、標高の高い栃洞での生活
そして、あの憂鬱でたまらなかったマラソン大会の
賜物なのかもしれないなぁと
ひとり、ご満悦な気分でいます。

心の中の白いボール

栃洞小・中学校の私の学年では
野球がとても流行っていました。

いつものメンバーは
しょーじ、たこじん、てんや、のっぽ
いだっけ、もり
やーとひー、けっぺ、かっぺ…という面々

土曜日は学校が半ドンでしたので
午後から鉱山グランドで練習。
授業の間の休み時間も
校庭や体育館でハンドベース。

神岡の〝まち〟の東小や西小とも試合をしました。
中学になるとナイターで先輩チームとも試合をしました。

あの頃は、大きな目標や
すごい向上心があるわけでもなく
ただただ野球が楽しくて
たった1つの白いボールを追いかけていました。

おとなになって社会に出て
仕事中心の忙しい生活の中で
いつの間にか
時間や結果に縛られることが
当たり前になってしまいました。

このことを後悔しているわけではありませんが
少し気持ちにも余裕が出てきた年齢にもなり

あの頃のような〝ただ素直に楽しむ〟
そんな気持も大切だなと感じるようになりました。

あの時一緒に野球をやってたみんなは
心の中の白いボール
まだ持っているのかなぁ。