二十五の峰、空高く♪

~標高850mの故郷 『栃洞』の想い出~

栃洞スナップ(8)~昭和初期の前平~

船津様より
昭和初期頃の前平付近の様子がうかがえる
資料をお送りいただきました。

 

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前平を中心に描かれた絵図。

いわゆる〝公園〟と呼ばれていた更地には「高風亭」が、
そしてその南側には「秋葉神社」があったようです。

 

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栃洞小中学校付近から通洞方面を写した写真。
鉱山グランドが作られる前なので
この傾斜地が孔雀坂スキー場と呼ばれていたのでしょうか。

 

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栃洞保育園、神岡寺付近。
プールのようです。

 

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銀嶺会館付近の鎮守の森。
その名残りが「たんぽぽが丘」だったのでしょうかね。

 

 船津様、貴重な資料をご提供いただきまして
ありがとうございました。

 

栃洞スナップ(7)~前平~

カラー写真です。

栃洞に住んでいた時に見た
空の青さが懐かしく思い出されます。

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写真は岡崎在住様よりご提供いただきました。
ありがとうございました。

 

栃洞スナップ(6)~前平・冬~

T字路付近、雪がうっすらと。
初冬の栃洞はとても寒く感じました。

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市山の坂の上り切った辺りでしょうか。

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ここはどの辺りでしょうか。
それにしても、すごい積雪です。
お天気の良い冬の日の雰囲気がよみがえります

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しんしんと降る雪の日。
家に帰った時の部屋の暖かさと
ストーブの匂いが懐かしく思い出されます。

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警察署前ですね。
夕ご飯を食べた後、お祭りの練習に通っていた頃の
雪の解け具合のように思えます。
4月初旬頃でしょうか。

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写真は岡崎在住様よりご提供いただきました。
ありがとうございました。

 

冒険

栃洞という所は

子どもの頃の私にとっては
不便などという言葉とは無縁で

いま思い返してみると
その頃が自分の人生の中で
いちばん密度が濃かったような気がします。

ちょっとした冒険も沢山しました。

その中のひとつ
以前にもどこかで書いたことがあるのですが
当時を思い返すと
ゾッとするような危険な冒険もありました。

小学生3年か4年の頃だと思うのですが
そんな子どものやる事としては
あまりに突飛過ぎて現実味が無い事なので
年月とともに夢の中の出来事ではないかと
疑うくらいでしたが
現実の冒険であったことがわかりました。

泉平から鹿間の病院まで通じる道とは別に
鹿間の排滓に降りていく道があります。
ジグザグに降りていくと
途中トンネルの入り口があり
(周辺一帯には樹木はありませんでした)
そこへ、泉平に住んでいた同級生と
その弟と私の3人で入っていきました。

トンネル内部は、ひと1人が通れる広さで
コンクリート製のしっかりとした作りでした。

裸電球が一定距離ごとに配されていて明るく
トンネルの端には水路があって排滓独特の臭いがする
泥流が流れていました。

しばらく歩いているとトンネルの出口になり
なんと和佐保の排滓に出たのです。
たしか車道の下側だったと思います。

そしてトンネルを引き返し
再び泉平に戻りました。

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自分の親にも話していない

(叱られるのが火を見るより明らかで…)
私にとっては秘密の冒険でした。

こんな体験を船津様にご相談したところ
実際に排滓隧道という施設が存在することが
わかりました。

もしかしたら
私以外にも同じ経験をしているかたが
いらっしゃるかもしれませんね。

 

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船津様、貴重な写真と情報のご提供

ありがとうございました。

 

栃洞スナップ(5) ~昭和初期の通洞~

大正末期~昭和10年以前と思われる
通洞~前平方面の景色です。

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通洞に6棟ある鉄筋アパートは、
昭和28年完成の建物ですので
この写真の頃は、まだ平屋の木造社宅です。

私が住んでいた頃は
鉄筋アパートの横(西側の土手下側)に
土俵や桜の木が植えてある空き地が2か所ありました。

この写真を見ると
やはり平屋の建物があったことがわかりました。

遠く、鉱山(総合)グランドの辺りには
狭いですが、すでに平らな場所が見受けられます。
この場所からの学校方向への傾斜地が
いわゆる孔雀坂と呼ばれるのでしょうか。

 

大正元年測量(上と昭和5年修正(下)の2枚の地図です。

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画像は船津様よりご提供いただきました。
ありがとうございました。

 

明治時代の1枚の写真より(2) ~北盛・旧栃洞と東平~

船津様よりお送りいただいた
明治時代の様子を伝える画像です。

明治35年当時、通洞から二十五山を
時計方向に回り込んだ場所にあった
北盛・旧栃洞の全景。

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また、前平から山之村方面に向かう途中
伊西口というバス停がありましたが
そこから二十五山を反時計方向に回り込んだ場所にあった
東平(大富)という地域の明治35年当時の全景です。

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急峻で荒涼とした山肌に
幾筋もの道が刻まれています。
圧倒的なスケールに
思わず足がすくんでしまうような景色です。

船津様、貴重な写真と情報のご提供
ありがとうございました。

 

 

明治時代の1枚の写真より(1) ~北盛と旧栃洞~

昭和58年発行の栃洞校史(栃洞学校閉校記念誌)
15ページに掲載されている1枚の写真

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明治35年頃の栃洞とのことです。
さらに、〝右側が北盛から二十五山、中央が旧栃洞〟
という説明が書かれています。

北盛と旧栃洞…

栃洞に住んでいた頃は
1度も耳にしたことがなかった
この2つの地名にとても興味を持っています。

栃洞校史によりますと
明治時代、旧栃洞は二十五山の山頂付近に
その下に北盛という民家や社宅があったようです。
そして二十五山頂上の露天掘りが始まると
旧栃洞と北盛は通洞に移動したそうです。

〝栃洞〟という言葉を
前平・通洞・南平・泉平等の総称という
意味で使っていましたが
明治時代にあった地区名称であったとは知りませんでした。

船津様より旧栃洞と北盛の地名が記載された
明治28年頃の略地図をお送りいただきました。

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北盛は通洞の上部、さらに二十五山山頂付近に
栃洞という地名が確認できます。

私が通洞に住んでいた頃は
二十五山の北側は下の写真左側のように
山が削られて崖のようになっていて
とても人の生活の跡などは感じられない光景でした。

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歴史というものは
文字などの記録で残していかないと
人の言葉だけでは
意外と後世には伝わっていかないものなのですね。

船津様、貴重な写真と情報のご提供
ありがとうございました。