オイルショックという出来事の数年後からでしょうか
しだいに〝合理化〟という言葉も耳にするようになり
子ども心にも何か良くない状況を感じた記憶があります。
そして1979年
私が住んでいました通洞地区と泉平地区の社宅が廃止されました。
私は南平に引越しました。
物産の横、火の見櫓近くの2階建て木造社宅。
通洞が無くなったことより
意外に快適な南平の生活が嬉しかったりもしました。
でも、いまになって思います。
春の雪解けのにおい
夏の朝の涼しい空気
秋の大洞山の夕陽
冬の猛烈な吹雪
一瞬だけでもいいので
もう1度、あの時に戻りたいです。