二十五の峰、空高く♪

~標高850mの故郷 『栃洞』の想い出~

神岡の街、そして栃洞の夜景 (2)

モノクロ写真ですが雪の中の栃洞と神岡の街の灯りがとても綺麗ですね♪ 以前、栃洞や神岡に住んでいらした方やいまでも神岡に住んでらっしゃる方がご覧になると いっそう綺麗に感じられるのかもしれませんね。 写真は船津様のツイッター画像よりお借りしまし…

栃洞スナップ(8)~昭和初期の前平~

船津様より昭和初期頃の前平付近の様子がうかがえる資料をお送りいただきました。 前平を中心に描かれた絵図。 いわゆる〝公園〟と呼ばれていた更地には「高風亭」が、そしてその南側には「秋葉神社」があったようです。 栃洞小中学校付近から通洞方面を写し…

栃洞スナップ(7)~前平~

カラー写真です。 栃洞に住んでいた時に見た空の青さが懐かしく思い出されます。 写真は岡崎在住様よりご提供いただきました。ありがとうございました。

栃洞スナップ(6)~前平・冬~

T字路付近、雪がうっすらと。初冬の栃洞はとても寒く感じました。 市山の坂の上り切った辺りでしょうか。 ここはどの辺りでしょうか。それにしても、すごい積雪です。お天気の良い冬の日の雰囲気がよみがえります しんしんと降る雪の日。家に帰った時の部屋…

冒険

栃洞という所は 子どもの頃の私にとっては不便などという言葉とは無縁で いま思い返してみるとその頃が自分の人生の中でいちばん密度が濃かったような気がします。 ちょっとした冒険も沢山しました。 その中のひとつ以前にもどこかで書いたことがあるのです…

栃洞スナップ(5) ~昭和初期の通洞~

大正末期~昭和10年以前と思われる通洞~前平方面の景色です。 通洞に6棟ある鉄筋アパートは、昭和28年完成の建物ですのでこの写真の頃は、まだ平屋の木造社宅です。 私が住んでいた頃は鉄筋アパートの横(西側の土手下側)に土俵や桜の木が植えてある空き…

明治時代の1枚の写真より(2) ~北盛・旧栃洞と東平~

船津様よりお送りいただいた明治時代の様子を伝える画像です。 明治35年当時、通洞から二十五山を時計方向に回り込んだ場所にあった北盛・旧栃洞の全景。 また、前平から山之村方面に向かう途中伊西口というバス停がありましたがそこから二十五山を反時計…

明治時代の1枚の写真より(1) ~北盛と旧栃洞~

昭和58年発行の栃洞校史(栃洞学校閉校記念誌)15ページに掲載されている1枚の写真 明治35年頃の栃洞とのことです。さらに、〝右側が北盛から二十五山、中央が旧栃洞〟という説明が書かれています。 北盛と旧栃洞… 栃洞に住んでいた頃は1度も耳にしたこ…

神岡鉄道

飛騨市神岡町の神岡鉄道 2006年12月1日に廃線となったのですが4月に「おくひだ1号」が1日だけ復活するロストライン フェスティバルが催されるようです。 http://lostline.rail-mtb.com/ 大学生の時には、夏休みが終わると父のオートバイの後ろに乗せてもら…

栃洞スナップ(4) ~冬・前平の坂道~

通称〝市山の坂〟です。まだ舗装がされていませんね。 田口さんの前のメイン道路でしょうか。それにしても大変な積雪です。 岡崎在住様ご提供の画像です。ありがとうございました。

栃洞小中学校の少女像

おかっぱ頭の少女像。 旗の掲揚台の隣にあったようですがどういうわけか不思議と私の記憶にありません。 あるところで話題になっていた銅像ってもしやこれのことなんかな? pic.twitter.com/kOoIwvIWUC — 船津 (@kamioka_funatsu) 2017年1月20日 船津様のツ…

栃洞スナップ(3) ~1992年8月 前平~

岡崎在住様のご提供画像です。前平の警察署前ですね。 バス停から右手の坂道を登ると鉱山四柱神社があります。 私が保育園に入る前の頃だと思うのですがバス停の横にはロボット(?)が立っていたような…。 自分の中の最も古くて曖昧な記憶の1つです。

前平・南平住宅地図(昭和62年頃)

船津様より昭和62年当時の前平と南平の住宅地図をご提供いただきました。 懐かしい苗字が並んでいますね。 前平 中心部 前平 栃洞小中学校周辺 南平 山本前バス停周辺 南平 物産周辺 船津様、貴重な資料をありがとうございました。

栃洞スナップ(2)~泉平~

左上 銀嶺会館の裏から眺めた風景でしょうか。右上 舗装前で道幅も狭いようです。 泉平へは遊びに行ったり 鹿間まで歩いていく時に通ったりしましたがこの写真がどの辺りなのかわかりません。 お嫁入りの時の写真です。 岡崎在住様より写真をご提供いただき…

栃洞スナップ(1) ~2007年6月前平~

前平にお住まいだった岡崎在住様ご所有の貴重な栃洞の写真をご了承を得て、当ブログにも掲載させていただけることになりました。 毎日眺めていた風景何月とともに変わってしまいましたがすぐに思い出せるものですね。 写真に添えられた味わい深いコメントも…

神岡の街、そして栃洞の夜景

私の親世代が見ていたであろう風景は、もう見ることは叶わず...。 pic.twitter.com/IKF3hxxF7Z — 船津 (@kamioka_funatsu) 2016年2月18日 船津様の2016年2月19日のツイートを引用させていただきました。 船津様、ありがとうございました。

どんぱ

先日、何気なくテレビを見ていましたら 〝ゲームとかでチーム分けをする時などに いつもどうしていますか?〟 というテーマで一般の人にインタビューしていくコーナーをやっていました。 名古屋周辺のかたは口をそろえて「グーパーでそろい」と答えていまし…

神岡の〝まち〟から見る二十五山

5月10日、久し振りに神岡へ行ってきました。 栃洞へは行きませんでしたのが 神岡の〝まち〟から撮った二十五山の写真を数枚。 神岡小学校から 神岡中学の下から 神岡大橋から 藤波橋から 大津神社から 小萱から 鹿間から乗越平のCBC中継アンテナの先っ…

マラソン大会

学校行事の中で最も憂鬱だったのが秋に行われるマラソン大会。 校庭をスタートし、銀嶺会館の前を左に曲がります。左手に〝理科園〟右手に〝六郎谷〟を見ながら最初の難所〝いちやまの坂〟を登覇。坂を登り切った高い石垣の前を右折し柏豆地区までの長い登り…

心の中の白いボール

栃洞小・中学校の私の学年では野球がとても流行っていました。 いつものメンバーはしょーじ、たこじん、てんや、のっぽいだっけ、もりやーとひー、けっぺ、かっぺ…という面々 土曜日は学校が半ドンでしたので午後から鉱山グランドで練習。授業の間の休み時間…

SNOW AGAIN

寒い季節がやってくると いつもより増して、寒く雪深かった生まれ育った故郷を思い出すことが多くなります。 移り住んだ現在の場所での生活の方がもう随分と長いのに。 まるで何か忘れ物でもしてきたような不思議な感覚です。 森高千里 『SNOW AGAIN』 (PV) -…

栃洞小中学校 応援歌

近所に小学校がありますので9月下旬頃になると運動会の歓声や音楽が聞こえてきます。 栃洞小中学校の運動会は小学生低学年の頃は鉱山グランドで 中舎が撤去された後は広くなった校庭でで行われました。 私は第一と第二2つある応援歌がとても好きでした。 …

通洞と泉平の社宅廃止

オイルショックという出来事の数年後からでしょうかしだいに〝合理化〟という言葉も耳にするようになり子ども心にも何か良くない状況を感じた記憶があります。 そして1979年私が住んでいました通洞地区と泉平地区の社宅が廃止されました。 私は南平に引…

一本松

神岡の街の東側、栃洞から南方向に屏風のように連なる尾根があります。 栃洞行きのバスは、その南端にある鞍部を通り尾根の反対側へと進みました。 ちょうどその場所にあった「一本松」という名前のバス停が強く印象的に残っています。 ここには戦国時代の江…

みちくさみっちゃんさんの思い出

私のFC2ブログの方に子どもの頃、栃洞に住んでらした〝みちくさみっちゃんさん〟という方からコメントをいただきました。 前平にお住まいだったとのことですが私は通洞に住んでいましたので十分なお答えが出来ませんでした(笑) どなたか〝みちくさみっち…

乗り物酔い

栃洞っ子にとって乗り物酔いは大きな悩みの1つではなかったでしょうか。 私も子どもの頃、それがイヤでイヤでたまりませんでした。 神岡の街に遊びに行く場合行きは徒歩で良いのですがさすがに帰りはバスに乗るしかなくて…。バス遠足の時も心配でした。 ま…

子ども獅子

通洞地区の子供会では春のお祭りに獅子舞を行っていました。 3月末から1か月間、夜は集会場で練習。 写真は、昭和47年(1972年)4月24日通洞の〝火の見やぐら〟横の階段を登った所の広場での撮影です。 この写真を見るまでは、写っている方々と「何処か…

六郎谷

栃洞小中学校の体育館の西道路ガードレールの向う側に六郎谷という谷が口を広げていました。 この少々こわい印象をいだかせる名前の由来はわかりませんが、栃洞だけで通じる俗称ではなく神岡のまちでも使われている名称のようです。 私が住んでいた頃は、背…

グーグルアースで栃洞訪問

栃洞へ行きたいと思ってもなかなかそうはいきませんので時々、グーグルアースで栃洞を訪問しています。 空の上のいろんな角度からまるで鳥になったような気分で栃洞を眺め 住んでいた時には行けなかった場所の地形なんかも知ることが出来ます。 人の営みの無…

夏休みの小旅行

夏休みになると高山市奥飛騨温泉郷(旧吉城郡上宝村)平湯温泉にある会社の保養施設に行くのが我が家の恒例行事でした。 今から考えると、とても近い場所なのですが当時の私にとっては、とても遠くまで行くように感じていました。 高原川沿いを走るバスの車窓…