二十五の峰、空高く♪

~標高850mの故郷 『栃洞』の想い出~

大洞山から見た栃洞

最近、運動不足の解消のために近所の里山歩きを始めました。 山歩きを始めてから間もなく地図や運動データを記録したり出来る 〝YAMAP(ヤマップ)〟という便利なアプリがあることを知り その中の登山記録を何気なく眺めていたら飛騨神岡の大洞山に関する…

動画『神岡鉱山フォーエバー #03』

〝solex3800tokyoさん〟というかたが2011年に投稿された動画です。 誰もいなくなってしまった前平付近が写されています。 風が吹いていなければ草木も揺れることもないので動画とは気付かないかもしれません。 いまでも耳をすませば草むらから虫の鳴き声が聞…

ふるさと

飛騨神岡の風景が多くの人が歌う「ふるさと」とともに映し出されています。 〝ふるさと〟を大切に思う気持ちが歌声となって胸に響きます。 嵐 ふるさと(studiotoshi-version)

動画『懐かしき栃洞』

遥彼方さんというかたがYoutubeに栃洞の動画をアップされていました。 前平バス停と床屋さんの前から坂道を登って栃洞小中学校に向かって行きます。 時折映る通洞方面の風景がとても懐かしく感じます。 私が住んでいた頃は道路の右側の石垣下にアスファルト…

南平の 火の見やぐら

船津様のツイッター画像からお借りしました。 南平の第一浴場近くにある火の見やぐらです。 写真右奥に和佐保から奥麻生野に抜ける峠が見えます。 小学校の遠足でその峠を越えて行ったことがあります。 大学2年の秋お寺から階段を下って 私が最後に栃洞で見…

映画『君の名は』をみて思うこと

ずっと気になってはいたのですがお正月にテレビで『君の名は』を見ることが出来ました。 最初は、私の生まれ育った飛騨市が舞台になっているということだけに興味があったのですが この中に登場する〝消えてしまった街〟が自分が住んでした栃洞の社宅街をモ…

神岡の街、そして栃洞の夜景 (2)

モノクロ写真ですが雪の中の栃洞と神岡の街の灯りがとても綺麗ですね♪ 以前、栃洞や神岡に住んでいらした方やいまでも神岡に住んでらっしゃる方がご覧になると いっそう綺麗に感じられるのかもしれませんね。 写真は船津様のツイッター画像よりお借りしまし…

栃洞スナップ(8)~昭和初期の前平~

船津様より昭和初期頃の前平付近の様子がうかがえる資料をお送りいただきました。 前平を中心に描かれた絵図。 いわゆる〝公園〟と呼ばれていた更地には「高風亭」が、そしてその南側には「秋葉神社」があったようです。 栃洞小中学校付近から通洞方面を写し…

栃洞スナップ(7)~前平~

カラー写真です。 栃洞に住んでいた時に見た空の青さが懐かしく思い出されます。 写真は岡崎在住様よりご提供いただきました。ありがとうございました。

栃洞スナップ(6)~前平・冬~

T字路付近、雪がうっすらと。初冬の栃洞はとても寒く感じました。 市山の坂の上り切った辺りでしょうか。 ここはどの辺りでしょうか。それにしても、すごい積雪です。お天気の良い冬の日の雰囲気がよみがえります しんしんと降る雪の日。家に帰った時の部屋…

冒険

栃洞という所は 子どもの頃の私にとっては不便などという言葉とは無縁で いま思い返してみるとその頃が自分の人生の中でいちばん密度が濃かったような気がします。 ちょっとした冒険も沢山しました。 その中のひとつ以前にもどこかで書いたことがあるのです…

栃洞スナップ(5) ~昭和初期の通洞~

大正末期~昭和10年以前と思われる通洞~前平方面の景色です。 通洞に6棟ある鉄筋アパートは、昭和28年完成の建物ですのでこの写真の頃は、まだ平屋の木造社宅です。 私が住んでいた頃は鉄筋アパートの横(西側の土手下側)に土俵や桜の木が植えてある空き…

明治時代の1枚の写真より(2) ~北盛・旧栃洞と東平~

船津様よりお送りいただいた明治時代の様子を伝える画像です。 明治35年当時、通洞から二十五山を時計方向に回り込んだ場所にあった北盛・旧栃洞の全景。 また、前平から山之村方面に向かう途中伊西口というバス停がありましたがそこから二十五山を反時計…

明治時代の1枚の写真より(1) ~北盛と旧栃洞~

昭和58年発行の栃洞校史(栃洞学校閉校記念誌)15ページに掲載されている1枚の写真 明治35年頃の栃洞とのことです。さらに、〝右側が北盛から二十五山、中央が旧栃洞〟という説明が書かれています。 北盛と旧栃洞… 栃洞に住んでいた頃は1度も耳にしたこ…

神岡鉄道

飛騨市神岡町の神岡鉄道 2006年12月1日に廃線となったのですが4月に「おくひだ1号」が1日だけ復活するロストライン フェスティバルが催されるようです。 http://lostline.rail-mtb.com/ 大学生の時には、夏休みが終わると父のオートバイの後ろに乗せてもら…

栃洞スナップ(4) ~冬・前平の坂道~

通称〝市山の坂〟です。まだ舗装がされていませんね。 田口さんの前のメイン道路でしょうか。それにしても大変な積雪です。 岡崎在住様ご提供の画像です。ありがとうございました。

栃洞小中学校の少女像

おかっぱ頭の少女像。 旗の掲揚台の隣にあったようですがどういうわけか不思議と私の記憶にありません。 あるところで話題になっていた銅像ってもしやこれのことなんかな? pic.twitter.com/kOoIwvIWUC — 船津 (@kamioka_funatsu) 2017年1月20日 船津様のツ…

栃洞スナップ(3) ~1992年8月 前平~

岡崎在住様のご提供画像です。前平の警察署前ですね。 バス停から右手の坂道を登ると鉱山四柱神社があります。 私が保育園に入る前の頃だと思うのですがバス停の横にはロボット(?)が立っていたような…。 自分の中の最も古くて曖昧な記憶の1つです。

前平・南平住宅地図(昭和62年頃)

船津様より昭和62年当時の前平と南平の住宅地図をご提供いただきました。 懐かしい苗字が並んでいますね。 前平 中心部 前平 栃洞小中学校周辺 南平 山本前バス停周辺 南平 物産周辺 船津様、貴重な資料をありがとうございました。

栃洞スナップ(2)~泉平~

左上 銀嶺会館の裏から眺めた風景でしょうか。右上 舗装前で道幅も狭いようです。 泉平へは遊びに行ったり 鹿間まで歩いていく時に通ったりしましたがこの写真がどの辺りなのかわかりません。 お嫁入りの時の写真です。 岡崎在住様より写真をご提供いただき…

栃洞スナップ(1) ~2007年6月前平~

前平にお住まいだった岡崎在住様ご所有の貴重な栃洞の写真をご了承を得て、当ブログにも掲載させていただけることになりました。 毎日眺めていた風景何月とともに変わってしまいましたがすぐに思い出せるものですね。 写真に添えられた味わい深いコメントも…

神岡の街、そして栃洞の夜景

私の親世代が見ていたであろう風景は、もう見ることは叶わず...。 pic.twitter.com/IKF3hxxF7Z — 船津 (@kamioka_funatsu) 2016年2月18日 船津様の2016年2月19日のツイートを引用させていただきました。 船津様、ありがとうございました。

どんぱ

先日、何気なくテレビを見ていましたら 〝ゲームとかでチーム分けをする時などに いつもどうしていますか?〟 というテーマで一般の人にインタビューしていくコーナーをやっていました。 名古屋周辺のかたは口をそろえて「グーパーでそろい」と答えていまし…

神岡の〝まち〟から見る二十五山

5月10日、久し振りに神岡へ行ってきました。 栃洞へは行きませんでしたのが 神岡の〝まち〟から撮った二十五山の写真を数枚。 神岡小学校から 神岡中学の下から 神岡大橋から 藤波橋から 大津神社から 小萱から 鹿間から乗越平のCBC中継アンテナの先っ…

マラソン大会

学校行事の中で最も憂鬱だったのが秋に行われるマラソン大会。 校庭をスタートし、銀嶺会館の前を左に曲がります。左手に〝理科園〟右手に〝六郎谷〟を見ながら最初の難所〝いちやまの坂〟を登覇。坂を登り切った高い石垣の前を右折し柏豆地区までの長い登り…

心の中の白いボール

栃洞小・中学校の私の学年では野球がとても流行っていました。 いつものメンバーはしょーじ、たこじん、てんや、のっぽいだっけ、もりやーとひー、けっぺ、かっぺ…という面々 土曜日は学校が半ドンでしたので午後から鉱山グランドで練習。授業の間の休み時間…

SNOW AGAIN

寒い季節がやってくると いつもより増して、寒く雪深かった生まれ育った故郷を思い出すことが多くなります。 移り住んだ現在の場所での生活の方がもう随分と長いのに。 まるで何か忘れ物でもしてきたような不思議な感覚です。 森高千里 『SNOW AGAIN』 (PV) -…

栃洞小中学校 応援歌

近所に小学校がありますので9月下旬頃になると運動会の歓声や音楽が聞こえてきます。 栃洞小中学校の運動会は小学生低学年の頃は鉱山グランドで 中舎が撤去された後は広くなった校庭でで行われました。 私は第一と第二2つある応援歌がとても好きでした。 …

通洞と泉平の社宅廃止

オイルショックという出来事の数年後からでしょうかしだいに〝合理化〟という言葉も耳にするようになり子ども心にも何か良くない状況を感じた記憶があります。 そして1979年私が住んでいました通洞地区と泉平地区の社宅が廃止されました。 私は南平に引…

一本松

神岡の街の東側、栃洞から南方向に屏風のように連なる尾根があります。 栃洞行きのバスは、その南端にある鞍部を通り尾根の反対側へと進みました。 ちょうどその場所にあった「一本松」という名前のバス停が強く印象的に残っています。 ここには戦国時代の江…