明治時代の1枚の写真より(2) ~北盛・旧栃洞と東平~
船津様よりお送りいただいた
明治時代の様子を伝える画像です。
明治35年当時、通洞から二十五山を
時計方向に回り込んだ場所にあった
北盛・旧栃洞の全景。
また、前平から山之村方面に向かう途中
伊西口というバス停がありましたが
そこから二十五山を反時計方向に回り込んだ場所にあった
東平(大富)という地域の明治35年当時の全景です。
急峻で荒涼とした山肌に
幾筋もの道が刻まれています。
圧倒的なスケールに
思わず足がすくんでしまうような景色です。
船津様、貴重な写真と情報のご提供
ありがとうございました。
明治時代の1枚の写真より(1) ~北盛と旧栃洞~
昭和58年発行の栃洞校史(栃洞学校閉校記念誌)
15ページに掲載されている1枚の写真
明治35年頃の栃洞とのことです。
さらに、〝右側が北盛から二十五山、中央が旧栃洞〟
という説明が書かれています。
北盛と旧栃洞…
栃洞に住んでいた頃は
1度も耳にしたことがなかった
この2つの地名にとても興味を持っています。
栃洞校史によりますと
明治時代、旧栃洞は二十五山の山頂付近に
その下に北盛という民家や社宅があったようです。
そして二十五山頂上の露天掘りが始まると
旧栃洞と北盛は通洞に移動したそうです。
〝栃洞〟という言葉を
前平・通洞・南平・泉平等の総称という
意味で使っていましたが
明治時代にあった地区名称であったとは知りませんでした。
船津様より旧栃洞と北盛の地名が記載された
明治28年頃の略地図をお送りいただきました。
北盛は通洞の上部、さらに二十五山山頂付近に
栃洞という地名が確認できます。
私が通洞に住んでいた頃は
二十五山の北側は下の写真左側のように
山が削られて崖のようになっていて
とても人の生活の跡などは感じられない光景でした。
歴史というものは
文字などの記録で残していかないと
人の言葉だけでは
意外と後世には伝わっていかないものなのですね。
船津様、貴重な写真と情報のご提供
ありがとうございました。
栃洞スナップ(4) ~冬・前平の坂道~
通称〝市山の坂〟です。
まだ舗装がされていませんね。
田口さんの前のメイン道路でしょうか。
それにしても大変な積雪です。
岡崎在住様ご提供の画像です。
ありがとうございました。
栃洞小中学校の少女像
おかっぱ頭の少女像。
旗の掲揚台の隣にあったようですが
どういうわけか
不思議と私の記憶にありません。
あるところで話題になっていた銅像ってもしやこれのことなんかな? pic.twitter.com/kOoIwvIWUC
— 船津 (@kamioka_funatsu) 2017年1月20日
船津様のツイッターより
許可をいただいて引用させていただきました。
船津様、ありがとうございます♪
栃洞スナップ(3) ~1992年8月 前平~
岡崎在住様のご提供画像です。
前平の警察署前ですね。
バス停から右手の坂道を登ると
鉱山四柱神社があります。
私が保育園に入る前の頃だと思うのですが
バス停の横にはロボット(?)が立っていたような…。
自分の中の
最も古くて曖昧な記憶の1つです。
前平・南平住宅地図(昭和62年頃)
船津様より
昭和62年当時の前平と南平の
住宅地図をご提供いただきました。
懐かしい苗字が並んでいますね。
前平 中心部
前平 栃洞小中学校周辺
南平 山本前バス停周辺
南平 物産周辺
船津様、貴重な資料をありがとうございました。